影 憧 








 大丈夫だ。
 ギンが何度諭しても、乱菊は「駄目」と頑なに首を振る。

「せやかて、乱菊も疲れたやろ。寒うなって来たし。そろそろ寝ないと。」
「だって」

 上目遣いで、乱菊は睨む。

「アンタどっか行っちゃう気でしょう?」

 怪我してるのに。
 苦しそうに眉を寄せて、乱菊はギンの細い足に巻かれている包帯を見る。

「行かへん。行かへん。何処にも行かへんて」
「…何度目の嘘?」

 表情を険しくして、疑わしそうに見られる。
 63回目。こっそり内心では答えながら、口では「今度は嘘ちゃうって」と嘯く。

「怪我してんのに動くなんて、ボクそんな根性あらへん」
「人を出し抜くためならやるでしょう?」
「うーん。ほな、一緒にボクも寝るから、見てれば良いよ。そしたら信用出来るやろ?」
「アンタの細目じゃ寝てるんだか起きてるんだか、わかんないわよ。」

 文句を言いながらも、ギンの隣へ潜り込む。
 元々、気温と節約の問題で二人はいつも同じ布団なのだ。

「だったら、これくらい側だったら、わかるやろ?」

 茶化した口調で、入ってきた乱菊を胸の中にすっぽりと納める。
 乱菊は驚いて、ぱっちりと目を見開いた。自然体が強ばるが、すぐに息を吐いて力を抜く。諦めた様子で、そのまま腕の中に納まった。
 下らない話をぽつりぽつりと交わす。最後のとどめに
 
 「心配せんでも。何処に行ってもボクが最後に帰ってくるのは乱菊の所だよ」
 
 とギンが口にした途端、船を漕いでいた乱菊は安心したように、深い眠りの中に落ちた。乱菊はいつもこの言葉に弱かった。
 完全に眠りに落ちたことを確認してからギンはそっと、身を離そうとするが動かない。がしっと背中に回されている腕に小さく笑みが零れる。少年は細心の注意を払って、腕を解いて外に出た。


 空は闇。地面は微かな月が反射して白く光っている。
 ギンは雪と同じ色の息を吐いた。
 ひょこひょこ、と片足を引きずりながら山道を歩いていく。
 足の怪我は昨日暴漢に絡まれたせいだ。暴漢はこの辺りで幅を利かせている山賊で、厳密にいえば暴漢に絡まれたのは乱菊の方だった。
 ギンは乱菊を庇った。しかし滅法喧嘩に強いギンといえど、大人と子供の差はいかんとも埋めがたかった。ギンは足を傷つけられて膝をついた。
 すると、後ろにいた乱菊が密かに作っていた雪玉を、男達に投げた。
 しかも雪の中には石が入っているという、グレードアップバージョン。それをボスッと素晴らしいコントロールで男達の顔面に当てた。

 「男が寄ってかかって、情けない!恥知らずっ!!」

 石入りの雪玉を投げて仁王立ちしている人間が言うセリフにしては、如何なものだろうと正直なところ、ギンは少し思った。だが体はバランスを崩している敵に体当たりした。乱菊も何処で覚えたのか足払いを食らわせた。2人は敵が体勢を整える前にさっさとトンズラした。

 乱菊は。
 本当は自分より、強い女子なのかもしれない。その考えに、ギンはほくそ笑む。
 拾った時には枯れていた花が、自分の手の中ですくすくと育っていくようだ。 自分が与える家や、服や、食べ物や、言葉で、美しく開花する花。
 彼女はこれから、きっと、もっと、美しくなるだろう。
 自分が、そうさせるのだ。

 それには、まっとうでない事に手を染める事は不可欠だ。
 後ろ盾が無い子供が生きていくには、この世界はあまりにも世知辛い。霊力を持ち、食料を必要とする特別な子供なら、尚の事。
 そう、食料は必要だ。手に入る機会があるのなら逃してはならない。
 持って生きた麻の袋の紐を、ぎゅっと握る。向かっている先は、件の山賊のアジトだったりする。実はギンは以前から、彼らに一方的にお世話になっていた。彼らの食糧庫から、こっそり自分と乱菊の分の食物を拝借していたのである。拝借といっても、彼らは霊力もなくただ娯楽と、現世で生きていたころの習慣で食糧を必要とし、近くの村から略奪しているものなので、罪悪感など欠片も無い。最も生まれてきてから、罪悪感など抱いたことは一度も無いが。
 今日は一番太りきった月が空に上がる日。奴らが下卑た遊びのために、村に降りていく日だ。食糧確保の絶好のチャンス。いつものように、手抜かり無くやらなければならない。

 食糧庫に着いた。
 手馴れた動作で鍵をあけて、音も無く戸を開ける。
 待っていたのは、ニヤニヤと嗜虐の色に瞳を染めた、見覚えのある男達だった。





 息を切らしながら、山の中を走る。
 読みが甘すぎた。ギンは素直に己が非を認めた。
 昨日絡んできた時から、すでに奴らは自分達を疑っていると気づくべきだった。
 今の手負いの状態では、逃げ切れないかもしれない。
 例え逃げ切れたとしても、早々にこの地を離れなければならないだろう。せっかく見つけた屋根つきの空き家を手放すのは惜しいが、万が一にも乱菊に傷つけられては堪らない。
 
 縺れる足が、木の根に躓いた。
 体が地面に叩きつけられ、斜面を転がる。 
 痛みに蹲りそうなるが、自分を追いかけてくる連中の声に立ち上がる。奴らは笑っている。
 しかし、足の傷に加え、平衡感覚を失った体は容易く男達に捕まってしまった。
 罵声と供に、頬を殴られてふっ飛ばされた。
 流石に腕っ節だけで世を渡ってきただけであって、一発が重い。
 そのまま男に踏みつけられ、蹴りを入れられ……
 長い悪夢が始まる事を、覚悟した時だった。

 尋常では無いことが起こったのだ。
 その悲鳴を聞いた誰もが悟った。

「ぎやゃゃゃぁぁあああ!!!」

 まだ後ろを走っていた男が、黒い影に喰われた。
 兎狩りを楽しむ気分でいた山賊達の間に、動揺が走った。

「何だ!?」

 叫ぶ言葉に、答えることが出来るものはいない。訳もわからないまま、1人、2人、確実に影に喰われていく。恐慌状態に陥っていく山賊たちの中で、地に這い蹲りながらも、ギンはその影の存在に思い当たった。以前。人の噂で聞いた事がある。

 あれは――虚だ。

 悲鳴をあげて山賊達は逃げ惑うも、人ならざるもののスピードからは到底逃げ切れない。あっけなく、ばりばりと頭から虚に喰われていく。

 ぼんやりと、目の前で人が死んでいくのを見つめていると、虚の奈落の瞳と目が合った。

――こら、あかん。

 キキキィィ!!!
 耳障りな笑い声のような声を上げて、虚がこちらに向かってくる。

 プライドは立ち上がれ、とギンに命令した。
 ここで死んだら、あの子は一生自分を許さないだろう。
 けれど彼女の存在をしても、埋められることなくギンの心に常にあった空洞は、ギンにそのままでいることを許してしまう。

――こんな事なら、乱菊の言うとおりにしておけば良かったなぁ。

 ごめん。吐息のような謝罪が漏らして、眼を閉じる。

 あんまり痛いのは、ごめんやな。楽に死なせてくれ。勝手に敵に注文をつけて、牙か歯が体に食い込むのを待つ…。

「…オンナ、ノ…ニオイ…ガスル…」
 
 はっ、ギンは見開いた眼で、肉薄していた敵の視線を追う。

 その先は――。

 自分の死を悟った時ですら、動揺しなかった心が、激しく揺らいでいる。村は山の反対側だ。虚の視線の先に、人が、女がいるとしたら、それは自分の良く知っている家にしか居ない。

 ギンの背筋が凍ると同時に、狂気が金属音の笑い声を立てて背を向けた。

 ――乱菊!!
 
 立ち上がった。必死だった。走って、縺れる足を叱咤する。
 手負いで、化け物を射程距離に捉えられたのは奇跡に近かった。けれど、武器を持たないギンが、虚の足を止めるには選択肢が少ない。
 捨て身の体当たり。あまりに確実性に欠ける策だが、それしかなかった。
 踏み込んで、懐に飛び込もうとした時、何かがギンの前を遮った。

 炎だ。

 勢いの良い火は、ばちばちと弾けてギンにも火の粉が降りかかる。思わず顔を腕で庇う。




 耳を劈く、声がした。





 腕の隙間から、虚が紅蓮の炎に焼かれているのが見えた。





 事態が把握出来ない。

「…何、や?」

 混乱している間に、炎がみるみる内に消えて収束する。
 凶暴な紅蓮の幕から見えたのは、老人だった。
 深く刻まれたシワ。禿頭でありながら顎には見事な髭を蓄えていて、編みこみのように結っている。白い眉も豊かで、眼はその下に隠れてしまっている。しかしその眉から、微かに見え隠れする眼光は名刀の鋭さで、並々ならぬ威厳を放っている。
 ギンは身震いした。

 危険だ。

 殺伐とした世界を生き抜いた生存本能が目の前の老人を、そう判断する。
 さっきの奴らなんて足元にも及ばない。一体どういった経験を積めば、こんな空気を纏えるのだろう。
 
「…命はあるか。赤子」
「…あんた、誰や?」

 不躾な、警戒を露にした誰何の声に老人は気分を害した様子を見せなかった。うむ。頷いて屈んでギンの足に手を伸ばす。
 何を。ギンが身を引く前に事は終わっていていた。翳された皺だらけの手の下で、昼に受けた傷があっという間に癒えた。
 驚いて、顔を上げると、深い瞳と目が合った。

「――無私の瞳。守りたい者が居るのか。…ヌシは優しい人間じゃな。」

 ギンは、きょとんとした。
 最初は踏み込まれたかと焦ったが、最後は的から外れすぎている。
 己ほど、利己的な人間もそういないだろうに。
 優しいといわれた事に対し、馬鹿にされたとは思わないが、嬉しくは無い。

「褒めた訳ではない」

 ぴくり。老人は眉を上げて、ギンを見据える。
 悪寒がざわりと背筋を撫で上げる感覚。それは幼い時、大人に叱られる直前の感覚によく似ていた。その存在自体がすでに、絶対的な権力の象徴である大人からの攻撃――

「優しいことも、賢いことも、機敏なことも、一つの性質にすぎぬ。世に言う美徳が、己の足を引っ張ることも、逆に悪徳とされている事が己を救うことも、数え切れぬ。教室で一番前に座ったつもりでも、黒板や教師の位置が変わればその席は最後尾にもなりえる。良いか悪いか、前か後ろか決めるのはその場の状況でしかないのじゃ。その状況も刻々と変わる。人の性質も同じく。誰かと出会うことによって様変わりする。世に確かなものなど、何一つ無い」

 ザッと草を踏み鳴らして、老人は後ろを向いた。

「ヌシの自分の命よりも守りたいという意思もまったく同じ。それは諸刃の刃じゃよ。強すぎる思いは、あらゆるものを狂わす。今は守りたい者のために振りかざしている刃を、いつかその守りたい者に向ける日が来るかもしれん。わしは、そういった者達を数多く見て来た…」

 老人の体が、ギンの傍から離れていく。
 今度は反発心も覚えず、すとん、と言葉が胸に落ちた。

「…そうかもしれへんね。でも、今、ボクがあの子を守りたいっていうのは紛れも無く本心なんよ。ボクがこんな事を思うんは、えらい珍しいことなんやけど…それに、例えボクがあの子に切りかかっても、あの子は負けへんよ。あの子はボクより強いから。きっとこれから強くなるから。」

 それは、きっと自分のためではなく、ギンのために。
 ギンに自分を傷つけたという重荷を、負わせないために。
 優しいのは自分じゃない。乱菊だ。
 仮に自分が優しい人間だとしたら、それは全部彼女のおかげなのだ。

 老人が足を止めた。振り返ってギンを見る。
 初めて口元が、笑ったように見えた。

「…本気で守りたいのなら、瀞霊廷の霊術院を目指すのも一つじゃろうて。幸い、ヌシも丑寅の方角にいるその女子も霊力がある。逸材じゃな、2人とも。その上、強運ときている。このワシがこんな所にたまたま外出していたなど、普通はありえんことじゃよ。――この年になると、その者が席官になれるか否かなど一目でわかるものじゃが…」

  ヌシなら、席官も夢ではなかろう。

  言葉を残し、老人は山奥へ消えていった。




 ■     □     ■

「機嫌直してぇな。乱菊」

 ギンの情けない言葉に、乱菊は取り合わない。視線すら合わせず、黙々と歩く。
 完全にむくれてしまっている。 
 ギンは頭をかいて、困ったなぁ、と思う
 ご機嫌とりのために散歩に連れ出してみたものの、いっこうに改善の変化がない。
 
 朝日が昇る前に、ギンはすっ飛んで帰った。
 あの子が起きていませんように。願いながら扉を開けると、待っていたのは、眉を逆立てて、仁王立ちでギンを睨む乱菊だった。
 
「…あらぁ〜。もう起きてたの。早起きさんやねぇー」

 ヘラヘラといつも通りに笑ってみせれば、乱菊の顔の険しさは三割増しとなった。
 これはまずい。ごそごそと袂から、ちゃっかり拝借した干し柿を乱菊に「これで、堪忍」と差し出すと同時に頬を叩かれた。

 「…っ痛!」

 い。という前にもう一発食らった。世に言う往復ビンタである。
 それから言葉少なに(ギンにとっては口数多くガミガミといってくれた方は気が楽だったが)小言を食らった後、乱菊は怪訝そうに、ギンの足を眺めた。

「足、治ってるの?」
「そや。いきなり現れた爺さんが治してくれた。」

 ギンにしては正直な言葉。しかし乱菊の表情は晴れなかった。また嘘をついた。と思われたらしい。
 
 まだ、ひりひりする両頬を手で包みながら、乱菊はほんま強おなったわ。と呟いて空を見上げる。
 その拍子、ギンは気づいた。

「乱菊」
「…何よ」
「もうちょっとで、雪が降るよ」
「…あんた。空の色見えてるの?雪なんて」

 降るわけがない。
 少女が否定した数分後。晴れ渡っていた空が陰り始め、嘘のように灰色の雲に覆われて白花をちらちらと散らした。

「なっ、降ったやろ?」

 ギンが得意気に胸を張る。

「雪やこんこん。あられやこんこーんや!」

 図に乗って、調子っぱずれな歌を謳い始める。ギンの言葉通りになったことに対して、乱菊の機嫌はさらに斜めに傾いていたが、狐目のギンがこんこーん!と連呼させるのが、いかにも可笑しくて、終には吹きだしてしてまった。
 そのまま、乱菊を笑わせた後、ギンは乱菊の方に向き直った。

「心配せんでも、最後には乱菊の所へ帰って来るよって」

 乱菊はきゅっと唇を締めた。
 目は悔しいというように、ギンを睨んでいる。
 しかし結局、彼女は許すだろう。いつだって彼女はこの言葉が弱点だ。この言葉は2人の諍いを終える合図のようなもの。今も、「最後って何よ!その言葉だっていつもの嘘じゃないって証拠なんてないじゃない」と言いながら彼女の眉は僅かに下がっている。
 
 悟っているのだろう。とギンは思う。
 自分に100%の誠実さを求める人間だったら、傍にいることは出来ない。
 今の言葉も100%信じている訳ではないだろう。ギン自身も自分を信じてはいない。浮き草の性分は、よく自覚している。己とて自分がどこに向かい、何を為すのか見当も付かない。
 強い彼女はいつかギンへの依存から脱却して、ちゃんと、一緒にずっと生きていくことの出来るパートナーを見つけるのかもしれない。しかしそれと同じくらい、乱菊は自分を最後まで見捨てない予感を抱いている事が不思議だった。


 それでも乱菊は、ギンの後をついて来る。
 それでもギンは、一緒に行こうと手を伸ばす。
 
 お互いが、お互いを信じきらずに、傍に、寄り添う。


 孤独に慣れていたはずの自分。
 けれども、乱菊と一緒に居たかった。彼女に少しの我慢を強いても、一緒に居たかった。
 


 死神にならないか。
 ギンが乱菊を誘ったのは、それから3日後のことだった。


 

end