「貴方が好きです」

彼女は自分よりずっと年が若かった。
その上、皇家の姫君という高貴な生まれである彼女から告白された時は驚いたものだ。
自分に好意を抱いていたことはもとより、引っ込み思案な姫君がその思いを自分にしっかり告げてきたことが何よりも意外だった。
ビスマルクは恥じらいながらもしっかりとした、口調で告げてきた姫君の思いを受け入れた。
受け入れながらも、心内では遠くない未来に少女は自分の手を離れていくだろうと確信していた。
自分と彼女の歳は違いすぎる。彼女は年上の男というだけで魅力を感じる年頃なのだ。やがて幻想は冷める。
それまで彼女を守ってやるのが自分の役目だ。
――そう思い定めて、ビスマルクは恭しく姫君の手の甲にキスをした。



***



ペンドラゴン宮殿内の廊下を歩きながら、ビスマルクはこっそりと笑った。
つい先程から拙く追尾する気配を感じていた。
ビスマルクは立ち止まって声を掛ける。

「姫様。もう誰もいませんよ?」

その声におずおずといった様子でが廊下の影から姿を現した。

「…ビスマルク。今日」

「アリエス宮に行くお約束でしょう?ご心配には及びません。この書類を届ければすぐにでもご一緒に行けますよ」

「…本当に付き合って下さるの?」

「そういうお約束でしたでしょう?」

その時は何か言いたげな顔をして俯いた。

「姫様?」

膝を追って覗き込むと、顔の近さには目に見えて赤面した。

「さっ、先にアリエス宮で待っています!」

恥ずかしさに耐えられなくなったのか、は走り去った。

――可愛いらしい方だ。

だがあの少女はいつか違う男のものとなる。胸がちくりと痛む。
しかし自分の痛みなどの幸福に比べるまでもない。
彼女の私的な騎士になるように一時期だけでも望まれた。
その事実だけで自分は満足すべきなのだ。




アリエス宮の前に辿り着くと、中から微かに歌声が聞こえた。の声だ。
あまり知られていないが、の歌声はとても美しい。
もっとも彼女は人前で歌うことなどない控え目な性格なので、そのことを知っているのは皇族でも滅多にいない。
ビスマルクは歌が終わるのを待って、アリエス宮に入った。

「大変お待たせして申し訳ありません。姫様」

姿を見せると何故かは一瞬驚いた顔を見せた。

「? 如何されました?」

「い、いえ何も…」

の言動にいまいち引っ掛かりを覚えるビスマルクだが、気を取り直して芝生の上に座った。

「いつ来ても美しい場所です。此所は」

ビスマルクは目を細める。彼にとっては懐かしい場所でもある。美しい黒髪の皇妃は戦友でもあった。
彼女と彼女の子供たちが住んで居たアリエス宮では今でも彼女を慕うものたちによって綺麗に保たれている。
整えられた木々と、咲き誇る花々は訪れた人々の五感を楽しませる。
ビスマルクは一時回想にふけりながらも、隣りにいるの様子を伺う。
彼女は何も言わず、俯いている。ビスマルクは意を決した。

「…姫様。いくら私が姫様のお心を理解しようとしても、言って下さらなければわからないことがあります」

ビスマルクはそっとの手に手を重ねた。
その仕草にびくっとの肩が震えた。
しゃがみこんで顔を伏せていたが、泣きそうな顔をあげて言った。

「…………………どうして、私を傷つけてくれないの?」

意表を突かれた発言に、ビスマルクは驚いて反応が出来なかった。
は傷付いた顔をしながら訴えた。

「私と貴方は全然対等ではない。どうして嫌がってくれないの?拒絶してくれないの?私はずっと…待っていたのに。絶対こんなデートなんて貴方は嫌なはずなのに。最高の騎士たる貴方がこんなままごとのような逢瀬を楽しんでいるはずないのに、貴方は不満を一つも言ってくれない――これでは私は貴方を隷属させているだけです…。…っ…告白を受け入れてくれたのも同情なのでしょう?」

その時、はらりと姫君の瞳から涙が零れ落ちた。
一つ零れた後はとどめなく涙があふれている。

「あぁ…でもどうしたら良い…?貴方に拒絶して欲しい。…でも見捨てられたくない。ありのままの私を好きになって欲しい…でもそれは叶わない。私にはコーネリア姉様のような凛々しさもなければ、ユフィのように可憐でもない…私は皇族に生まれなければただの取り柄もない娘だから…なら今のままの方が…でも…っ」

が小さい子供のように泣きじゃくる。ビスマルクは戸惑いながら彼女の涙をハンカチで拭う。
するとぎゃっと手をの両手に掴まれた。
思い詰めた表情でが懇願する。


「こんな私を貴方が見捨てるのも当然です…でも見捨てる時は私を殺して下さい…!貴方の名誉は傷つけないようにはしますから…お願いです。私を捨てるなら殺して下さい…!!」


ビスマルクは心底驚いた。
大人しいと思っていた彼女にこんな激しい一面があるとは思わなかった。
それに自分がこんなにも強く彼女に想われていることも知らなかった。

「…貴女様を殺めることなど出来ません」

その言葉には「そう言われることはわかっていた」というように泣き笑いを浮かべた。

「…私の愛は重い?」

自嘲に歪むの頬をビスマルクは指でなぞった。
のすべらかな頬が涙で濡れてしまっている。

「貴女様の想いが重いというのなら、初めて出会った時から姫様をお慕い申し上げていた私のそれもさぞや重いでしょうな」

穏やかな口調で告げられた言葉にはびっくりする。
ビスマルクは微笑みながら尋ねる。

「私と初めて会った時のことを覚えていらっしゃいますか?貴方は誰もいない中庭の片隅で、アリアを歌っておられた。確かスターチスの花が咲き始めた頃です」

「……貴方は私に『陛下が招いた楽隊の者か』と尋ねました…」

「そう。そして貴女様は振り向くと、怯えた顔をなさった。――私の顔はそんなに怖かったですか?」

ビスマルクが悪戯っぽく言うと、恥ずかしそうにの顔が赤く染まった。

「――姫様。私は確かに刀を持つしか能のない武骨者です。しかし歌を聴いたり、華を愛でたり…そのように穏やかに時を過ごすことは好きです。無理などしておりません。」

「…そう、なの?私全然知らなかった」

「私も姫様があんなにも激しい一面があるとは存じませんでした」

の顔がさらに赤くなる。つい先程取り乱して色々ぶちまけてしまったのを思い出した。
一方ビスマルクは彼女に語りかけながら、内心は反省していた。
彼女の感情は一時の錯覚、年上に対する憧憬にすぎないと軽んじていた。
年上だからこそ彼女の思い詰めやすい性格を気遣わなければならなかったのに、逆に追い詰めてしまった。

そして事の一番の原因は、二人ともまったくお互いを信用していなかったことであろう。

ビスマルクは今度こそ真っ直ぐに彼女と向かい合った。
そして眩しいものをみるように目を細めた。

「心配しなくても貴女はとても美しい。その姿ばかりか、そのお心も美しいからこそ、あのように胸を打つ歌を奏でられるでしょう。…姫様。いつか私の前で歌を歌って頂けますか?…その、私だけのために…」

ビスマルクは咳払いをした。最後の一言を言うのはさすがにこそばゆかった。
それでもまだのまなざしがそれ以上の言葉を求めているのに気付く。
ビスマルクは微笑んで、彼女の求めに答えた。


「貴女が好きです」


Fin

08.12.7