ほら、やはり彼女は美しいのだ。


ビスマルクは二階から窓の外を眺め、目を細めた。
昼下がりの小春かな時、は庭で歌の練習をしている。
彼女を皇宮から連れ出して良かったと思うのはこんな時だ。
は出会った時よりもずっと伸び伸びしている。
結婚する前はさほど化粧などに興味はなかったようだが、結婚してからは「ビスマルクに恥をかかせるわけには」と化粧を研究し出したようだ(ビスマルクとしては若いのだし素顔で充分だと思うのだが)

は蕾が花開くように、日々美しくなっていく。

その花を育てているのは自分だと思うと、穏やかな喜びが心を満たす。
ずっと、いつまでもこの掌で彼女を守り、慈しんでいきたいと願う。
だが、いつか自分以外に彼女の美しさに気が付く者が現れ、彼女は、彼女の心はその者にさらわれてしまうかもしれない――その可能性に、ビスマルクは暗澹たる気分に陥る。
人が思うほど自分は泰然としている訳ではない。愛すれば愛するほど不安が頭を擡げる。こういう傾向が強くなったのはエリア11でと桜を供に見た時からだ。情動は自覚すればするほど抑え切れない。
――年の割に私の精神も随分幼いものだ。
気が滅入りそうになった時、ふとから少し離れた位置に数人の人影があるのが確認出来た。屋敷の使用人だ。
彼らは皆、の歌声に聞き入っているようだった。ビスマルクはその様子に微笑した。
だが次の瞬間その場にいた使用人達は何故か慌てたように散会した。どうしたのだろうとよく見ればが屋敷に向かって来ていた。使用人達はに姿を見られないように身を隠したのだろう。彼らはとっくに主人の奥方であるな性質を把握している。
しばらくするとビスマルクの書斎のドアをノックする音があった。

「ビスマルク。私です」
「どうぞ」

促すとは何故か恥ずかし気に部屋に入ってくる。
ビスマルクは首を傾げ、どうしたのかと尋ねた。

「ビスマルク。お願いがあるの」
「どのような?」
「あとで私の歌を聴いて欲しいのだけど…」
「良いですよ。勿論。喜んで」

そんなことか、とビスマルクは微笑むが、は「本当!?」と声をあげて大袈裟に喜んだ。
ビスマルクはその様子に愛しさと痛ましさとを覚える。彼女がこんな些細なことで喜ぶのは人の好意に慣れていないからだ。皇室のしがらみは彼女と彼女の母親を虐げ、親子関係を悲惨なものにした。彼女の母親がを見る目。あれは到底、母が子に向ける視線ではなかった。陰惨に濁った瞳。まるで自分の不幸はすべてこの娘のせいだとも言いたげな――
そこまで考えたところでビスマルクは思考を切り替えた。

「今此所で歌って頂いてもかまいませんが」
「今!?今はちょっと…心の準備が…」

あわあわとが目に見えて戸惑った。
ビスマルクは少し悪戯っぽく――にはこの表情が大層意地悪そうに見えるらしいが――笑って彼女に近付いた。

「――ならば、今はこういうことでも致しましょうか…?」

低い声で囁いてビスマルクはにくちづけた。驚くの体を捕らえて本棚に押しつける。
そして深く舌を絡めた。

「………さて、戯れはここまでにして新しく届いたレコードでも聞きますか?」

これ以上続きをすると貴女の喉が枯れてしまうかもしれないしと言うと、が目元を朱く染めながら軽く睨んで来た。
ビスマルクは可愛らしいその反応に、許しを請うように彼女の額にくちづけた。
その一方で彼は心内でこの謝罪は今夜しっかり致しますよと勝手に誓を立てたのだった。




Fin

09.6.8