予定より早い帰還だった。使用人達はビスマルクの帰宅に驚いたが、驚きの度合いではビスマルクの方が上であった。

が…?」
「はい。お風邪を召されてしまいまして、旦那様にうつしたくないので顔は合わせられないと」

侍女の言葉はさして不審なものはなかったが彼女の瞳の揺れを見逃さなかった。
ビスマルクは無言での私室に向かっていく。慌ててビスマルクを止めようとする侍女を手で制して下がらせて、ビスマルクはの扉を叩いた。

。私だ…何があった?」

返事は返って来なかった。
ビスマルクは低い声で尋ねた。

「………母君の所に行かれたのか?」

今後も答えはなかった。だが微かに息を飲む音を耳で拾った。
それで充分だった。

「今、入る」

ことわりを入れて、少し力を込めてドアノブを掴んだ。
旧式のロックなど大剣エクスカリバーを自在に操るビスマルクにとって無意味に等しい。扉をあければベッドの上で毛布を被り丸くなっている彼女の姿が見えた。
は「来ないで!」と甲高い悲鳴をあげると部屋の隅に逃げた。
ビスマルクはずんずんと大股で彼女に近付く。
すっぽり毛布にくるまれながら彼女が震えているのがわかった。

「見ないで…っ!」

の声に涙が混じる。
しかしビスマルクは許さず、毛布を奪い去った。
すぐにはぎゅっと目をつぶり顔を背ける。
だがビスマルクは尚も容赦しなかった。
彼はの顎を掴むと無理矢理彼女の顔を正面に向けた。

「あ…ぁ…見ないで、見ないで…」

恐怖に見開いたの瞳からぽろぽろと涙が零れた。
ビスマルクはすっと目を細めた。

「これは母君が…?」

の頬には青紫色の痛々しい痣が浮かんでいた。

「…私がいけないの。私が何にも出来ないから…。嫌われても仕方ないの…」

でも、とは喉をつまらせる。

「母上から嫌われた上に、ビスマルクにまで嫌われたら私は生きていけない…!」

死にます。
そう言ってはビスマルクの視線から逃れるように顔を覆った。

「…何も出来ないくせに、こんなに醜くくなって…こんなのビスマルクの奥さんとして駄目…。私、死にます!!」

の声は混乱と悲壮に満ちている。
ビスマルクはかっとなった。

「馬鹿なことを…!」

強い力で抱き締めて、顔を覆っていた掌を引きはがす。
馬鹿なことを、ともう一度苦し気に呟く。

結婚すれば彼女をすべて自分のものに出来ると幼稚で傲慢な思いがあった。

だが実際彼女の中にはビスマルクともう一人、彼女の母親が居た。
そしてビスマルクは悟った。
こんなにもは母親を求めているのに、とうの母親は全くを省みない。愛情を向けない。
だから
だからは他人から自分に向ける愛情を完全に信じられない。幼い頃、それは求めても得られなかったから。
まだ恋仲となって間もない頃。は常に不安がっていた。「ビスマルクが無理をして自分の傍にいるのではないのか?」と疑ったり、ビスマルクの寝室に忍びこんで「ビスマルクが自分を好きでいてくれる内に抱いて欲しい」と迫って来たりしたことさえあった。

はビスマルクのことを信じているといいながら、彼女はビスマルクの愛情をどこかで疑っている。

ビスマルクの愛情が無くなったら死ぬと叫ぶ激しい恋情を持ちながら、彼女はビスマルクの想いを信じていないのだ。

届かない。
もう何度も肌を重ねているのに、真実自分の思いはに届いていない。

ビスマルクはぎりりと奥歯を噛み締める。

苦い敗北感が胸に広がった。



Fin

09.7.27