窓際で景色を見ていたら、いつの間にか眠りの世界に誘われていたらしい。

風が吹いてカーテンが揺れる気配を感じる。
椅子にもたれ掛かって寝ていると、ふいに肘掛けにあった手の上に温かい手が置かれるのを感じた。
兄を思い出すような固い皮膚。だがそれよりもごつごつとした手のひらがの手を包む。

うっすらと目を開く。そこには月明りだけがさす部屋の中で、優しい顔をした想い人がいた。

――ビスマルク。

小さく呼び掛けると、ゆっくりと彼が近寄る。

ビスマルクの綺麗な灰色の瞳が迫ってきて、は夢心地のまま目を閉じた。


暖かな感触が唇に落ちた気がした。



※※※

の奇行に、さすがに大らかなジノも見かねて止めに入った。

「…姫。いくらなんでも、それは甘くない?」

言われてはハッとする。口の中で紅茶がざらざらとして壮絶に甘い。一口飲んでは砂糖を入れ、一口飲んでは砂糖を入れという行動を繰り返していたせいで、いつの間にか砂糖を入れすぎてしまっていたのだ。
もっともはそんなに回数を重ねていたとはまったく覚えがなかったが。
暇を持て余していたとジノは中庭でティータイムと洒落こんでいた。緑に囲まれたテラスはの気に入りの場だ。
はざらめ紅茶と化したそれをソーサーに戻す。

「…私って欲求不満なんでしょうか?」
「えぇぇ!?」

神聖たるブリタニア皇女のいきなりの発言にジノは目を白黒させた。
一方は沈んだ気分で数日前の夜のことを思い出していた。
窓際でうたた寝している間に見た夢――夢だと思ったのだ。机にナイトオブワンに頼んでいた資料がいつの間にか置かれていることに気付くまでは。
この国で最強にして最高といわれるナイトオブワンとははっきりと恋仲、と言うわけではない。
ただお互いに好意を持っていることに薄々気付きながらもどうすることも出来ない。そういう足踏み状態が続いていた。
――やっぱりあれは現状の不満が見せた夢?私の願望?
は溜息をついて立ち上がる。

「ジノ。散歩にいきませんか?」
「うっ、うん。良いけど…」

いまだ顔をひきつらせるジノも立ち上がって一緒に部屋を出た。
ジノと並んで廊下を歩く。ジノとの会話は楽しい。ブリタニア屈指の名門出身だがラウンズとして様々な場所に赴いているジノの話は、鳥籠の中のにとっては心弾むものだ。
笑いながら談笑していると、遠くから聞き覚えのある声が微かに聞こえた。

「…その案件は陛下の裁可を待つとして、軍事費については一度シュナイゼル殿下とご相談を…」

は咄嗟にジノの腕を掴んだ。

「ジノ!こちらから行きましょう!!」

「えっ?いきなり…」

驚くジノを無理矢理引っ張り、廊下の角を曲がる。
しかし曲がる瞬間ちらりと、こちらを見る灰色の隻眼を捉えた。






夜。美しい薄紫のカンパニュラが咲き誇る中庭では一人頭を抱えていた。近くには昼間ジノと居たテラスがある。
絶対判断を誤った。なぜあんなにわざとらしく避けてしまったのだろう…絶対見られた!あの時は恥ずかしくて居てもたってもいられなくて、ジノの腕をひっぱったが、今となってはあの時の自分の頭をはたいてやりたい。

「…姫様? かような夜分に何をしておられるのですか?」
「ビ、ビスマルク!?」

突然現れた彼に、は驚いて目を見開く。
そして気まずさに後ずさった。

「…また私を避けられますか?」
「避けてなどっ…!」
「では近付いても問題ありますまい」

そう言われては返す言葉がない。ビスマルクとは並んで立った。
彼と目が合わせられない。それどころか勝手に顔が火照ってくる。

「それで姫様は何をしていたのです?」
「月を…見ていました…」

我ながらつまらない返答だと思う。けれど彼は納得したようにあぁと頷く。

「確かに今宵の月は格別に美しいですな…」

そう言って月を見上げる彼を盗み見て、は彼に見惚れる。
月明りに照らされた顔は彫りが深く精悍だ。切れ長の瞳は残念ながら片目を閉じてしまっている。
出来ればその塞いでしまった瞳を開いて自分を見て欲しい。
そう思ってしまったら、止められなかった。

「――ビスマルク」

あぁ、どうしよう。
言ってしまったら何かが変わってしまうだろうか?壊れてしまうだろうか?

迷いながらも、一度開いてしまった口を閉じることは出来ない。

「…先日貴方は私に――あれは夢ですか?それても現実ですか?」

さぁっと涼しい風が吹いた。

肝心な所が言えなかった。これでは彼だって意味がわからないだろう。
何か言わなければ。焦れば焦るだけ口が動かなくなっていく。
代わりに頬が自分でもわかるくらい熱を持って赤くなる。それがよりを焦らせる。
ビスマルクはの言葉に一瞬驚き、それから穏やかな表情でを見つめる。
それから至極紳士的な動作で跪いて、の手の甲に口付けた。

「夢か、真か…それは貴女様なお望みのままに」

「私、私は…」

動揺と混乱でさらに言葉を紡げなくなる。
足がなぜか、がくがくと震える。
はぎゅっと目をつぶって叫んだ。


「私は現実であって欲しい!!」


その時立ちがあがるビスマルクにが抱き付くのが先だったのだろうか。
それともビスマルクがを抱き寄せた方が先だったのか。
固い抱擁。逞しい彼の体を感じては益々ときめいた。

「…ビスマルクは私のことが好きなのですか?」
「狡い言い方です。それは」
「女とは狡い生き物なのです」

ビスマルクの肩が揺れている。気取ったの言い方がおかしかったのだろう。
ムッとして文句を言う前にビスマルクは答えた。

「私は貴女様をお慕い申上げております」

は先程などより遥かに頬が熱くなるのを感じた。
幸福すぎて頭がどうにかなってしまいそうだ。

「…あぁ、夢みたい…」
「夢はお嫌なのでしょう?」
「だって私も貴方のことが大好きだから…こんな幸せすぎる現実は信じられません…」
「それは酷い。私の言葉を信じては下さらない?」
「じゃあ、信じさせて下さい」

恥ずかしくて小声で呟くと、ビスマルクの体にさらにしがみつく。
ビスマルクはの耳元で囁いた。

「お望みのままに」

そう言うとビスマルクはの顎を上向かせる。
優しくて強い光が宿る瞳がゆっくりと自分に近付いてくることに強い既視感を覚える。

そして。



合わさる唇はあの時よりずっと熱くて

あの時より遥かに幸福だった。



Fin

08.11.2
改訂08.11.8