「姫様!!」

声をかけるより先に体は自然と動いていた。
倒れかかったの体を引き寄せて、咄嗟に体勢を入れ替えて――倒れた。

「わわっ…ビスマルク大丈夫?」

「私は何ともありませんが…」

の下敷きになって倒れたビスマルクは本当に何ともなさそうに答えながら、「ただ貴女を見ているとヒヤヒヤします」と内心こっそり呟いた。

とビスマルクは遠乗りに出ていた。
本当はには数名の護衛がついていたのだが、の馬の速さについていけず次々と脱落していき、結局最後までついて来られたのはビスマルクだけだったのだ。
大人しそうに見えて実はかなりお転婆なである。
姉のコーネリアだって男顔負けの活発な女性だが、彼女だって裾の長いドレスを着ながら鮮やかに馬の手綱をとるのは難しいだろう(元々コーネリアはドレス姿を好まないが)。
――と、こうして2人きりで辿り着いた場所はにとって初めての場所だった。
彼女は持ち前の好奇心を発揮し、あれは何だ、これは何だと動きまわり、木の根でつまずいたのである。
そして今、彼女はビスマルクの上から顔を真っ赤にして慌しく降りた。
「すいません!」と恥ずかしがりながらしきりに謝ってくる。
やれやれと苦笑しながらビスマルクは芝生から頭を起こした。

「ビスマルク!?手から血がでています」

「そのようですね」

手の甲を見るとを庇う時に低木にひっかかったのだろう。
傷は幅が狭い割に少し深い。だが、

「ご心配には及びません。この程度、怪我の中には到底入りません」

数多の戦地を潜り抜けて着たビスマルクである。
足や腕を切断した部下や僚友を何度も見たことがある彼にとって、この程度の怪我はお話にならない。
しかし一方のは深窓の姫君――と言えば語弊があるが、それでも蝶よ花よと大切に守られてきた王家の姫君である。
他人の血をみることに免疫がない彼女はおおいに慌てた。

「駄目です!ちゃんと手当てしないと!!」

そう言って彼女はどこからともなく小型の救急箱を取り出した。
ビスマルクの目にはのたっぷり膨らんだドレスのスカートの中からそれを取り出したように見えたが、気のせいだということにしておく――

「さぁ腕を見せて下さい」

「恐れ多い」と固辞しようとしたビスマルクも、消毒液と包帯を用意したにそう言われては観念する他ない。
他人の怪我の手当てなどしたことがないのだろう。の手つきはおぼつかない。
騎士であるビスマルクだったらこの程度の処置など1分もかからない。
同僚や部下も同じだろう。軍人の処置は効率的で的確だ。しかしそれはともすれば、機械的であるといえた。
それに対して悪戦苦闘しながら包帯をまこうとするの不器用な手つきからは、必死にビスマルクの傷を手当てしようという気持ちが伝わってくる。
それは微笑ましくも暖かくビスマルクの胸を満たした。

「出来ました!」

が満足気ににぱりと笑う。
包帯は正直少し緩かったが、ビスマルクはその事について何も言わず「ありがとうございます」と礼を述べた。

「あっ、ビスマルクが嬉しそうな顔をしています。…なんて、気のせいですか?」

「貴女様が私のためにして下さったことです。嬉しくないわけがありません」

そう言ってビスマルクは腕に巻かれた包帯に軽く唇を落した。
の頬がぼっと朱に染まる。

「…天然たらし」

「はっ?」

「この間ノネットとジノが話してました。ヴァルトシュタイン卿は朴念仁のくせに、天然たらしの才能があるって」

「………」

それは褒められているのか?馬鹿にされているのか?
上司が部下から陰口を叩かれるのは世の常だが、これが陰口か否かは判断に迷うところである。
思わず考え込むビスマルクに対して、は困ったような不安そうな顔を見せた。

「…ビスマルクのそういう所。たとえビスマルクその気がなくても、いつか他の女性の心を奪ってしまいそうで私は気が気じゃないんです…」

「ご心配なく。好んで私に近寄ろうなどという女性は姫様以外そうそう居りません」

「ふふ…。ビスマルクの顔が怖いのは私にとってはラッキーでした」

楽しそうにころころ笑うに、ビスマルクも小さく微笑む。
ビスマルクはふっと後方に目を向けた。

「…やっと着いたようですな」

とビスマルクに置いていかれた付きの護衛である。

「…乗馬は元より、彼らにはもっと訓練を積んでもらう必要があるようです」

そう言いながらビスマルクは彼らに近寄る。
可哀相に付の護衛官達は厳しい顔をしたナイトオブワンに戦々恐々である。

はふぅっと溜め息をつく。

――今日はここまでですね。

ビスマルクは知らないし、気付きもしないだろう。

ビスマルクと外で二人っきりになるために、が死ぬほど乗馬の練習をしたことを。
は人知れずそっと笑った。

まぁそんな朴念仁なビスマルクが好きなんですけど。




Fin

09.01.18