Je te veux (後編) 







似ているかもしれない。そう思い始めたら、あっと言う間だった気がする。

元々。彼がひょうきん者を演じているのは、根が真面目すぎるからだというのもわかっていたし、彼が女性への暴行を極端に嫌うのは、過去に何がしかの事があったのだろうという予測はついていた。
だが、サングラスの中に隠していた憎悪に気づいたのは最近だった。

本質的に鷹揚な彼に似つかわしくない憎悪。
それは恐らく過去に一族を傷つけた者に向けたもので、そんな所にも朔羅はシンパシーを感じてしまった。
笑師は一族を。朔羅は主君の家族を。
傷つけられたものは違えど、そこにある理不尽さに対する憎悪は同じものだ。

捻じ曲げられなければ、得られた未来。
今この無限城で暮らす事になんの不満はない。だが奪われた陽だまりに思いを出すと屈辱と怒りがじわじわと心を支配する。
傷つけられたのは、大切な者と言えど自分と別個の人間。
けれど踏みつけられたのは、無視されたのは己の存在自体だった。


笑師と自分は、そんな所が似ている。
だからこそ、あの瞳に近づきたかった。あの孤独に触れたくて、たまらなくて。ひたすら、強く惹かれた。

気がつけば目で姿を追って。あの寂しそうな瞳を見たいような、見たくないような気持ちで追って。
いつの間にか好きになっていた。

しかし、自分の好意は彼にとっては邪魔なものだった。
否、それは正確ではない。朔羅が居るその場で「レンの事が好きだ」と言ったときの彼の声音は微かに震えていた。こっそりとこちらを伺う視線は、間違いなく朔羅を怖がっていた。
自分が拒絶された事がショックだった。近寄るなと牽制された事も。だが、それ以上に、彼を怖がらせてしまった事がショックだった。

朔羅は暗い表情でVOLTSの本部に向かっている。見回っていたブロックで見つけた迷子の家を探すのに随分手間取ってしまった。周りはすっかり暗くなってしまっている。急がないとこの辺りの治安も相当悪くなる。歩を早めようとしたとき、常にしているイヤホンからマクベスの声が聞こえた。

「聞こえているかい朔羅。ブロックN―8の住民が‘バエル・ベール‘に襲撃されている。」

『バエル・ベール』とは、反マクベスのレジスタンスで
N―8は、楼蘭の一族が住む居住区だった。






パイプ官があちこち垂れ下がり、ゴミが散乱する狭い路地を、息を切らして走り抜ける。
角を曲がって家に入る。中は電気がついていなかった。蛍光灯を点けるヒモだけがプラプラと揺れている。

「笑師!」

外より暗い部屋の中。道化師が黒い血だまりの中で嗤っていた。
そこかしこに敵とおぼしき男達は、倒れて…事切れている。
笑師は無駄な殺生は嫌う。唯一その信条を曲げる相手は、女性に暴行を加えた者だけだ。
案の定、彼の足元には衣服を剥がされた女性がいる。
彼女がもう二度と動かない事は、遠目でもわかった。

「……ここで最後やったんやけど」

笑師は、彼女に自分の上着を被せた。

「あかん。またやってもうたわ」

がんっ。と鞭の柄を地面に叩きつける。

――弱い。遅い。また。

朔羅は、その哀しみと後悔の深さにすぐには声をかけられなかった。
彼は今、すぐ近くの彼女の死だけを悼んでいるのでは無い。
過去の、これまでに目の前で死んでいった者たち――朔羅の知らない過去、も含めて悲しんでいる。
容易に立ち入ることは出来ない。
安っぽい慰めなど、それこそ最低だ。

…それでも一歩進もうとした。
彼に、近づきたかった。
しかし、それよりも早く笑師が立ち上がって、ニカっと場違いな明るさで笑う。


「なぁんてな。こんなんグズグズいつまで言っててもしゃーない。…あいつらまた今夜来るかもしれないから、見回りしよか」


その笑顔は弱々しいながらも、いつもの笑師のものだった。



――離された。

近づいたと思った距離が。
晒された素顔が、再び色つきのガラスの中に隠れる。
いつだって。
社交的なようで彼は瞳を隠す。傷を隠す。饒舌な喋りの中に、彼の過去が見えることは無い。
周りは彼の傷を察する事が出来ても、彼の照れと気遣いで出来た壁を取り外す事は出来ない。


貴方は目の前で傷ついているのに、

こんなにも遠い。




だったら
彼が遠のくというのなら。

自分が一歩でも、二歩でも、三歩でも近づくしかない。



「朔羅はん…?」

すぐ側まで近づいてきた朔羅に、笑師は困惑した声を上げる。
朔羅が笑師の顔に手を伸ばす。笑師ははっと悟る。

「やめといた方がええって。…いざという時守れない男なんて最低や」

無視してそのままサングラスを外す。
笑師の普段は晒されない、裸の瞳が露になる。
そこには、深い哀しみと、熱の低い炎が宿っている。
いつも騒ぎ立てる人物のものとは思えない静かな――。

「守られたい訳じゃない」

しばらく。
瞳をじっと見つめて、反論する。


「守られたい訳じゃないのよ。私は」


笑師の頭部を抱き寄せる。
必死な思いで、抱きしめると笑師の結ってある長い髪がぱらりと腕に落ちる。


守られたい訳じゃない。
この人の優しさと、傷に触れていたい。
出来れば
このナイーブな精神が、これ以上傷つくことがないように。私、が…――



「貴方が好きです」


傍にいさせて。貴方の一番近くの。その許可が欲しいんです。


言った途端、微かに唇がわななく。
ついに言ってしまったという焦燥が、背筋を走る。

けれど朔羅は面を下げない。
それは甘い恋に酔っているというよりは、何かに挑むような眼差しで。
笑師を見つめ返す。


不思議だった。

サングラスを取り、窓から入る月明かりにぼんやりと輪郭をなぞられている彼は、まるで初めて会った人間のような違和感があった。
でも、それが全然嫌ではない。
むしろ、もっと知りたい。もっと踏み込みたい。

この人を全部包み込めるように。

この人を
守ってあげられるように。


笑師もまた、朔羅を見つめ返していた。
彼女は怖がっている。自分の言葉が、これまで培ってきた関係を壊してしまう可能性を十分察している。
それでも彼女の凛とした姿勢は崩れない。
それどころか、彼女の清澄な瞳は、強い意志を孕んで煌いている。

自分は今、求められている。笑師は悟った。
誠実な対応を。
逃げる事無く、答えを提示することを。




笑師が表情を緩めて、頭をかいた。

それは降参の合図。

「…本当にワイでえぇの?」

その弱腰の言葉が、いかにも素の彼らしい。
朔羅は、不謹慎だと思いつつ小さく吹き出すのを止められなかった。

「えっ、そこ笑うとこなん?」笑師は、困ったように、情けないように言って、

それから、彼は返事を返した。


笑師が鼻をかきながら、はにかむ。
ふわりと優しいその笑顔は、朔羅の一番好きなものだった。




end