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―4―
この時、山の麓では大規模な消火活動が行われていた。
汲み上げた海水で、必死の消火を行っていた青年隊員は目撃した。
この季節。降るはずのない白花が燃え広がった炎に降り注ぐ光景を。
しかしその雪は空からではなく、炎のすぐ近くで現れ消えた。
そのため、目撃者は火のすぐ近くに居た者に限られた。
青年隊員と他数名が見た光景は、常識派の人々には「ありえない」とその日の気象情報を後ろ盾にして一笑に伏された。その一方で信心深い老人たちには水神様の御加護じゃと片付けられたという。
こうして前代未聞の山火事となるはずだったそれは、消火活動が始まってから驚くほど早く収束したのだった。
卑弥呼は瞼を上げて、鎮火した山を見た途端
押し寄せる疲労に耐えきれず、地面へ倒れ込んだ。肩で息をつきながら、ダラダラと滝のように流れる汗拭う。
気が付くと、後ろに居た筈の赤屍の姿が消えていた。
潮の匂いがする。
馬車のトラックは火の手から逃れ、山道を抜けた。
道にせり出していた両側の木々が無くなった、開けた視界の先で目的地である港を捉える。
町の中を突っ切り、車をがくがくと揺れる道から、再び舗装された道へ車を乗せる。入港した先には小さく依頼品を搬入する船が見えた。このまままっすぐ進めば目的地。後もう少しだ。
その時である。道の前に見覚えのありすぎる男が現れた。
「…!」
メスで攻撃してくるのかと思った。
タイヤに攻撃を仕掛ける気なら避けなければと緊張する。
だが赤屍は動かない。
「……?」
距離としては30メートル
徐々に距離が詰まってくるにつれ、馬車も赤屍の真意が段々わかってきた。
――そういうことか。
「…土佐の人間に度胸だめしとは舐められたものぜよ」
馬車は思い切りアクセルを踏み込む。
「勝負ぜよ。ジャッカル!」
トラックが赤屍をめがけて爆進する
残り20メートル…10メートル
赤屍は笑っている。予想通り。
5メートル
周りの景色が早く流れていく。
4メートル
赤屍はまったく動かない。
3メートル
ハンドルを強く握る。
2メートル。
赤屍のコートが車風で靡く。
1メートル
トラックの座席から、赤屍の姿が見えなくなる。
額に汗が浮かぶ。
「ちぃっ!!」
…足を振り上げるようにして、ブレーキを踏む。
耳障りなブレーキ音が静まり返っていた港に響きわたった。
荒々しくバンダナをとって下に叩きつける馬車の表情は、虫を噛み潰したように苦々しい。
トラックのドアが開いた。
「あと1センチ、いえ0,6センチといった所でしたね」
赤屍が悪びれた様子もなく入ってくる。
「服には当たっていましたけど、ボディは無傷ですよ。素晴らしいテクニックですね。一級危険物を取り扱う工事現場でも充分すぎるほど通用しますよ」
「冗談じゃない」
「クス。確かに。そのような現場で車に暴走されては冗談になりませんね」
つまらない軽口を叩きながら、いつも馬車が依頼品を置いておく指定の場所に立つ。
「これが本物の資料ですか」
「…何をしているんだ?」
「取り替えているのですよ。もう貴方が港に到着してしまいましたからね。これでミスター石倉の用意したトラックが入って来たら怪しいだけです。貴方にはこのトランク運んで貰います。――お嫌ですか?」
馬車が反射的に開いた口は、抗議するためのものだっただろう。
しかし彼は言葉を紡ぐことなく口を閉じた。微かに後ろに視線を送りながら。
赤屍はいつも通りの笑みを浮かべながらトラックを出た。
爽やかな涼しい風が髪を触った。
もうすぐ夜が明ける。
赤屍が歩き出す。
一歩、二歩…
「…安心しました。」
足を止める。
「もう出てきて貰えないかと、心配しましたよ?キャプテンブラッド」
後ろには、トラックのコンテナから研ぎ澄まされた軍刀のような気迫を纏ったブラッドが、姿を見せていた。
「…恐ろしい男だ。その強大な力はもとより、生の虚無をあっさり乗り越えるその精神が、私には何より恐ろしい」
だが。とブラッドは軍靴を鳴らす。
「そのトランクを貴様に渡す訳にはいかん。私と同じく死の女神からことごとく愛されていない化け物よ。――そのトランク返して貰おう」
赤屍とブラッドが対峙する。
百戦錬磨の野生の獣ですら逃げ出してしまいそうな空気。
どちらが先に攻撃をしかけるのか。
ぴりぴりと糸が張りつめていく。
「もう良いだろうよ。ブラッド」
その二人の間に割って入った声は、軽く。
まるで世間話まじりの挨拶をするような快活なものだった。
「……石倉か」
いつのまに到着していたのか、隻眼の生物学者が懐手をして立っていた。
「いくらお前さんでも、あんな滅茶苦茶な人種改造が民族統一に繋がるとは思っていないのだろう?」
「…この資料通りでは無理でも、この資料を研究し改良すれば、あるいは」
「その研究のために、何人の子供が死ぬのだろうな」
ブラッドは一瞬、確かに黙った。
――滅茶苦茶な人種改造。
そう確かに。あれは常軌を疾うに逸脱した実験。
山のような投薬。剥がされた皮膚。カラカラになるまで抜かれる血液。
最後には頭骨を繰りぬかれ、直接脳へ薬物投与されたという、残虐非道な人体実験。
そして
そのすべての被検体は子供だった。
「…それがどうした。これは」
「戦争だ、か?俺たちの戦争はもう半世紀も前に終わったんだよ。そんなことは、お前さん悲しいほどわかってるだろ」
東欧の元中尉の目がカッと開く
「終わってなどいない!そう見えるだけだ。私の闘いは。俺の夢は終わってなど…」
いきり立つ旧友を傍観してから、鋭い声で問う。
「ナディアの遺志を無駄にするつもりか」
ブラッドははっとした。
それは盲点を指摘されたというより、ずっと懸念していたことを言い当てられた反応に近かった。
「…だがその資料はトランシルバニアに必要なものだ。いざと言うとき他国との取引材料になりえる」
「それで?実験所の場所を変えただけで、結局は他国の子供を犠牲にするわけか。自分の国が安泰ならそれでかまわないのか」
「なんとでも言え。俺は祖国のためなら何でもする」
石倉は一際大きな声を張り上げた。
「間違えるなブラッド!その資料はお前さんの国を不幸にする資料だ。思いだせ。ナディアは自分はいつか子度を産むだろうと言った。だが彼女は実の子供を一人も産まず処刑された。それはこうは考えられるだろう」
「このヴァンパイアウィルスの無い平和。この世界で生まれた子供たちすべてが、ナディア・バートリの子供であると。」
ブラッドは今度こそ傍目でわかるように立ち尽くした。
それは石倉にとって予想出来た反応だった。
彼女は、この祖国馬鹿の堅物軍人が唯一心を奪われた女性なのだから。
化粧っ気もなく派手な格好を嫌った彼女。
けれど迸る内面の美しさは、眩しく。多くの人間を魅了した。
聡明で美しく、気さくな人柄でありながら気高く。
そして
彼女は真に強かった。
石倉にとっても、色褪せない永遠の女性…。
彼女。
ナディア・バートリの名を知る者はあまりにも僅かである。
しかし、この地上で生きる誰もが、彼女の恩恵を授かっている。
ヴァンパイアウィルスという名も存在も知らず平穏に生きる人々。
あの凄惨な戦争の後、生まれてきた命。
すべてが彼女によって守られた、彼女の子供だ。
すべてが微笑ましく。すべてが愛おしい。
町で見かけた名も知らぬ子供の笑顔の中に、彼女の面影を感じる事がある。
それだけで、自分が枯れ尽くした老いぼれだという事実を忘れて目頭が熱くなる。
彼女の故郷トランシルバニア。
古城が並ぶ景観は日本と同じく四季があることによって、美しい変化に富むらしい。
3方を山脈に囲まれ肥沃な台地によって育てられた、豊かな農作物の情報は耳を傾けるだけで胸が満ちる。
とりわけ今年のトランシルバニアの葡萄は豊作だと聞くと、まるでわが子の成長を見るようで石倉の胸は詰まる。
石倉は穏やかに微笑む。
「なぁブラッドある作家の野郎が言った言葉だ『私達は恥ずかしい大人だった。けれど私たちの前の時代の大人はもっと恥ずかしい大人だった』その通りだと思わないか?愚かだとわかっていながら渦中の戦争を止められなかった俺達も俺達だが。それ以上に俺達の前の人間は、二十歳にも満たない子供を戦場に生かせるような状況を、作っちまった大人達はもっと恥ずかしい野郎だった。そしてこのトランクはあの頃の負の遺産だ。馬鹿な大人のツケで起こったあの戦争を知っている俺達だからこそ、この負の遺産を次の連中に渡す役割は背負ってはいかん。後ろの連中に、いかに良いバトンを渡してやるか、それが現在を生きる者の勤めだろうよ。」
この場に立つ2人の老人の脳裏には、同じ笑顔が輝いている。
――血で染まった大地ではなく、最高の葡萄畑で埋め尽くされた世界中で愛される大地を子供たちにプレゼントする。それが私の夢!
石倉は一度言葉を区切って、旧友の顔色を伺う。
「それに、お前だって本当は……」
その時、遠くからブラッドの名を呼ぶ声がした。
停泊していた船の方から、一目で西洋人とわかる男が歩いてくる。
石倉によるとこの部下はブラッドの顔を知らぬ筈だが、一人だけ軍服を着ているのだから一目瞭然だったのだろう。
ブラッドの元に着いた部下は、眉をひそめて尋ねる。
「この者たちは何です?」
部下は不審を露わに、銃口を石倉に向けた――
To be continued。。


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