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「これが噂に聞くDrジャッカルか…」

 メスで切られた袖を捨てながら、ブラッドは感心した。

「なるほど。とても人とは思えん」



同じような道が続いた山道の中
そこだけは車の方向を切り替えるために、広い面積がとられた車道だった。



「私も噂に聞いていますよ。キャプテンブラッド。貴方がその実の名と因縁深い怪物だという噂をね」

 赤屍はメスを閃かせる。



「私と貴方と、そして‘アンデッド‘菱木竜童…まるで今夜は不死の者が集まるパーティのようですね。――さぁ、死を知らない者同士。遠慮は無用です。楽しい宴といきましょうか」



無数のメスと血液が交錯する。

常人ではとても目で追うことの出来ないバトル――。


「一つお聞きします。貴方にとって死とは何ですか?ミスターブラッド」

「死か。…それは罪深い人々への神の恩恵。この世で唯一の完璧な安寧だよ。私や貴様のように人以下の人でなしには与えられない宝。手の届かない至高の女みたいなものだ」

 ぴくり。と赤屍の眉がよった。

「…つまらない」

 地に着地し、鮮血の剣を出現させる。

「無敵のノスフェラトゥも、所詮は死にたがりの老人ですか。浅ましく生き血を啜って生き続ける価値などない。そんなにお望みなら私が殺してさしあげますよ。」

「…まだ若いな。死を軽んじるか」

ブラッドは帽子で目元を隠しながら、微かに笑う。

「軽んじている訳ではありません。想像出来ないですよ」

「想像か…。では死の恐怖ではなく、生の虚無はどうかね?綿々と続く日常世界の地獄は」

「それも私にとって無縁です。一分一秒。私は私の好敵手となってくださる方を探すことで忙しいのでね。…つまらない戯言は終わりです。生へのエネルギーの無い人間なんて死人同然。伝説通り心の臓に打ち込んであげましょう。――私の杖刑でね」


 ブラッドは、そうだ。と平静に肯定する。

「私は屍体だ。この呪われた肉は干からびて朽ちるのを待つだけ。だが私の胸は燃えている。烈火の恋のように、蕩けるような愛のように。私の心の臓腑は燃えて、打ち込まれた釘すら溶かすだろう。私の悲願。私の祖国への忠誠によって――」

 ブラッドが腕を振り上げた。



「abfeuern!!」



地を揺るがす。爆発音が響いた。

それは生い茂る山の木々というキャンドルに、強大な炎が灯る合図だった。







卑弥呼は苦戦していた。
元々典型的なパワーファイターの菱木と卑弥呼の戦闘スタイルは、真逆で相性が悪い。
その上でかい図体に見合って嗅覚が鈍く、毒香水の効き目が薄い事が事態をやっかいにしている。
だが最もやっかいなのは、菱木の底なしの体力である。
小まめに動きながら攻撃をしかける卑弥呼と違い、菱木はあまり動かない。高い防御力と供に倒しても倒しても起き上がってくる菱木とは、さっさとケリをつけてしまうのが最善だが。

中々巧くいかない。

菱木の攻撃を跳躍してかわす。
するとブラッドの部下が卑弥呼を援護した。
意外な事に彼らは、ブラッドについていかず卑弥呼の元へ残った。
ブラッドに命じられて残ったという事か。
自分には援護が必要ないから、運び屋を援護しろと――?
ありえるといえば、ありえるし、同じくらいあえないような気がした。

火炎香を振りかざす。
菱木は強いが、一年前の神の塔の戦争を経験した自分にとって脅威ではない。
だがその事もまた卑弥呼の足枷になる。
今日の持ち合わせの毒香水は事前に掴んでいた情報から、相手があの男だという事が予想出来たので攻撃力の高いものばかり揃えてしまっている。

下手をすれば、殺してしまう――

と言っても。

「銃弾くらってもピンピンしてるってどういう事よ!ってな感じだけどね!」

まったく人間じゃない奴らが世の中に多すぎる。
しかし人間外との戦いはあの城で嫌という程、経験させられた卑弥呼である。
毒香水無しというハンデを背負いながらも、最後に回し蹴りを放ってアンデッドをノックダウンした。

…随分時間をかけてしまった。
汗を拭きながら、馬車を追うべきかブラッドの援護へ行くべきか考えている時だった。
自分の武器とも、ブラッドの部下の銃器とも違う火薬の匂いが嗅覚を刺激した。
何…?
疑問に思えたのはほんのわずかだった。




遠くで爆発音が鳴り響いた。

そしてすぐに自分のすぐ近くでも轟音があがった。



爆風で四方の木々が割れ、倒れこんでくる。
卑弥呼は飛んできた木片を手で弾きながら、駆け出す。


爆薬の炎が木々に燃え移り
周りはあっという間に火の海となった。


ブラッドの部下達の悲鳴があがる。
卑弥呼は手に届く範囲で助けてやりながら、先ほどの違和感を解決させる。


「あたしを油断させるために、部下を餌代わりに置いていったってわけね」


確かに部下ごと殺されるとは流石に思っていなかったが…


「…陰険な男!!」


後で会ったら十発殴ってやる。いや五十発殴ってやる!

憤慨しながら彼の部下を助けてやっていると周りを完全に炎で囲まれてしまった。
一応氷雪香を試してみるが、加速香を併用しているせいで効果が思うように出ない。何より炎の勢いが強すぎる。

「〜〜!」

――まさか部下を置いていったのはこういう計算もあったのだろうか。
という考えに思い至ってさらに腹が立つ。
卑弥呼は苛々と地団駄を踏みならす


「ああもう!なんて甘ちゃんなのあたし!!」

「まったくですよ。貴方は甘すぎる」


びっくりして振り向く前に、腕をとられる。
そのまま引っ張られて、何がなんだかわからないままに体が宙に浮いた。



空を飛行している、と錯覚してしまいそうな高い跳躍。


自分の手を引いて跳んでいる男の後姿は、季節にそぐわないその奇怪な格好も手伝って、まるでいかがわしい魔法使に見える――




「赤屍!?」



何故この男が此処にいるのか。何故自分はこの男と一緒に空を跳んでいるのか。


卑弥呼は訳もわからず、混乱するが

跳躍は重力に従い、今一度だけ炎の海の中へ。

その中で足場の安全な場所へ着地する。


しかし卑弥呼の足が地につくことはなく――


「失礼」


着地する手前。手を離されたかと思うと

どさり。

赤屍の腕の中に抱き抱えられた。



「…えぇっ!?」



突然横抱きに抱えられてしまった卑弥呼は驚いて抗議するが、赤屍はとり合わない。




再びの跳躍は

前よりもさらに高く。


空中で赤屍は顔を覗き込むようにして、初めて卑弥呼と目を合わせる。


「困りますねぇレディポイズン。私との戦いの中ならともかく。あんな弱い輩のために私との契約を無視されてはね。」


「いや、あの」

顔!顔が近すぎるから!!



「…獲物は良いところで逃げてしまった上、無粋な事をされて私はいたく不愉快です。その上貴方まで死なれてしまっては、私は大損です。」



卑弥呼の話など聞いちゃいない。

卑弥呼はと言えば、抱きかかえられた直後よりも、認識が追いついてくるため段々と時間が立つことに恥ずかしさが増してくる。

さらに、顔が近すぎて何処を見て良いかわからない。
もぞもぞと身じろぐと抱えられている腕を意識してしまって収集がつかなくなる。


あっ、あたしお姫様だっこなんて、小さい頃兄貴にやってもらったくらいしか…!あっあれ?蛮にもやってもらったっけ?どうだっけ??




完熟のトマトのように、真っ赤になって紛糾する卑弥呼を余所に、卑弥呼を抱えたまま赤屍は優雅に着地する。


さっきまで居た道路から二段ほど高い。
山の頂上近くから見える眼下の風景に、卑弥呼はそれまでの羞恥を忘れて慄然とした。

夜闇の空を紅蓮の炎が侵していた。

――山の半分が燃えている。



「おやおや。あの男も過激なものだ。きっと山の麓の町では、大騒ぎでしょうね」

「…赤屍。あんたさ」

「はい?」

「男の腕でぬくぬくしている女ってどう思う?」

赤屍は片眉を上げた。

それからクスッと笑った。


「下ろして」

赤屍は頷いて、卑弥呼をおろした。



静かに小瓶を取り出し集中し始めた卑弥呼に、赤屍はやれやれと息を漏らした。
本当に甘い人だ。だが。

「今回に限ってはそれも悪くはない。これは貴方にとっては弱点克服の絶好のトレーニングになりますからね…。レディポイスン」




眼下に広がる炎を睨みつけるように見つめ
卑弥呼は深く深く集中する。


――毒香水には弱点がある。

通常、毒香水の発動には三つの論理によって成り立つ。
一つ目の「物質界の論理」は、可燃物質と酸素が化合することによって、発熱現象が起こるというような物理科学に従ったルール。二つ目は「術者の論理」は火=燃える、熱いなど前持った情報やイメージ。最後の「被術者の論理」も術者の論理と同じくあらかじめ脳に刻まれた情報をさすが、この論理は術者によって、作為的に毒香水に刺激された嗅覚によって情報を引き出されて利用される。

したがって嗅覚を持たない無生物を相手にする場合、三つ目の「被術者の論理」が欠けることになる。
毒香水の威力の半減。
それを避けるためには術者が被術者の論理の分をカバーするしかない。



深呼吸。

肺に空気を流しこんで瞳を閉じる。

今回。術者が追う負担3分の2。

しかも範囲はかつて試したことがない規模。
火を鎮火するために使用する毒香水は、難易度が高く、その上昨日仕上がったばかりの扱いなれていない代物。


しかし

あの中には、まだ覆面の西洋人たちが居る。麓には漁で生計をたてる純朴な町がある。




卑弥呼は集中する。

思考の欠片を漏らすことなく一点へ。


それでいて、イメージは広げるように、全てを包み込むように、大きく。

自身の意思は低く、真っ暗な深海へ潜り込むように

意識が降下する途中、遠くで懐かしい声がした。

鈴を転がしたように、愛らしい、声。


卑弥呼はきゅっと眉根を寄せて

自分の意識でそれを覆い隠し、その声を深層へ埋めた。


強く、強く。イメージする。



想像するのは、

この山火を鎮める冷たい礫。

創造するのは




真夏に降る雪だ。