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―5―
長い間つまらなそうに沈黙していた赤屍が、やっと自分の出番かと前に出ようとする。
だがその前にブラッドが手で部下を制止した。
小さく、息を漏らしながら。
「…待て。こいつらはブツを運ぶために雇った奴らだ」
「こいつらがですか?」
部下はその返答に納得いかなかったが、階級の手前引き下がるしかなかった。
ちなみに二人の会話はすべて異国語だ。たが、赤屍は何の問題も無くすべて聞き取ることが出来た。
―予定より遅い到着でしたね。資料は何処です。キャプテン?
―……資料は紛失した。
―何ですって?
―見てわかるように
ブラッドは半分焼け焦げた山をさす。
―派手な妨害工作にあった。そのせいで数人の部下と供に、資料も紛失してしまった。
―……わかりました。この失態はすべて貴方の責任として上に報告してよろしいですか?
表情を険しくさせる部下にブラッドは、低い美声ではっきり答えた。
「ja」
部下はその返答に完全に納得した訳ではなかった。
しかし彼が上司であること。何より、彼がが『あのブラッド』であるという事実に、部下は黙って帰るしかなかった…。
「こうなるだろうと思っていたよ。」
ブラットは不機嫌そうに、ふんと鼻をならす。
石倉はニヤニヤと笑いかける。
「何せお前さんは、研究所でこっそり飲んでいる時だっていうのに『俺としては子供は10人欲しい!ナディア最初の娘の名前はエリザベートと言う名前にしよう』と大声で抜かして、ナディアを困らせた奴だからな」
ピクっとブラッドの肩が動いた。
「…私はそんなことは言っていない」
「耳が赤いぞ。」
「……っ!」
ぷいとブラッドは後ろを向いて、ずんずんと歩きだした。
耄碌した老人の記憶などあてにならん。などと言っている。
石倉は小さく吹き出してから、むっすりと黙っている黒衣の男の方へ向く。
「…と言う訳だ、運び屋。依頼内容は変更。そのトランクは誰も手出し出来ない場所に運んでおいてくれ」
「……」
「何だ不満か?」
「おおいに」
「わかったわかった。報酬は倍に弾んでやろう」
「そんなもの…」
ますます機嫌を悪くしてふてくされたように言う魔人に、石倉は声を立てて笑った。
「なんだ意外と可愛い男じゃないか。なぁ。そうは思わんか。ブラッド?」
「知るか!!」
だいぶ離れた距離にも関わらず、ブラッドは律儀に返事をする。
彼は速度を早めて海の方へむかっている。足音も荒く遠のいていく友人を石倉は暢気に呼び止める。
「おーい。待たんか」
「話かけるな!!」
「ワインを持ってきているぞ。一杯やらないか?」
「……5大シャトーから考えてやってもいい」
「シャトー・ル・パンの86」
ぴたり。ブラッドは歩みを止めた。
眉間に皺を寄せながら、顎でこっちへ来いとジェスチャーする。
昔とまったく変わらない反応。
石倉はおかしくてたまらなかった。
「ほらジャッカル。あそこにも一人。お前さんと同じく可愛い男がいるぞ」
「……あれの何処が私と一緒ですか。」
珍しくDrジャッカルが突っ込んだ。
夜が明ける。
暗い夜の帳の下から、明るい光が差し込み
黒から藍へ。段々と闇が薄くなる
光が闇を包んでいく・・・
卑弥呼がふらふらになりながら港に着くと、赤屍が「お疲れ様でした」と出迎えた。
「ほぅ。あの火事を完全に消しましたか…」
鎮火してすでに静けさを取り戻しきった山を眺めて、赤屍はえらく感心した様子で言った。
「あっあのさ、赤屍。もしかして仕事」
「はい。全部すっきり終わりましたよ」
「げっ」
「後は帰るだけです」
へなへなと脱力してその場に卑弥呼はへたりこむ。
一方赤屍は
「馬車さんは今ガソリンを給油していますよ」
と言っているあたり、どうやら馬車のトラックに乗って帰るらしい。
一度こいつの顔の面の厚さを計ってやりたい。
「え〜と。それで、どっちが勝ったの?」
十中八九。
赤屍側が勝ったものと予想していたのだが、どうも彼の機嫌が悪いようで卑弥呼は尋ねる。
「…こちらと言えばこちら側なのでしょうがねぇ。私にはおおいに不満が残る結末ですよ。結局どちらの資料も船に乗らずじまいですし」
「えっ?」
意味がわからず聞き返したが明瞭な返答は無かった。
赤屍は小さくブツブツと文句を垂れ流し、ふと思いついたように言い出した
「そうだ卑弥呼さん。散歩に行きましょう。気晴らしに」
「はっ?」
「馬車さんは田舎だからスタンドが遠いっておっしゃっていましたからねぇ。もうしばらくかかるでしょう」
言うだけ言って、赤屍はスタスタ歩き始めてしまう。
「ちょちょっと、待ちなさいよ!あたしすごい疲れて……あぁもう!」
重い腰を引きずって、仕方なしに卑弥呼もついていく。
海沿いを歩いて、固い人工的な地面から浜辺に降りた。
気持ちの良い風が、潮の香りを運んでくる。
普段は漁船が浮かぶはずの海は、昨晩の大規模な山火事騒ぎがあったためだろう、一隻の船も出ていない。今は静かに水面に朝日を映していた。
綺麗に真っ直ぐ伸びている水平線を眺めながら、これもあの依頼人の思惑の内なのだろうかと考える。
だとしたら恐ろしく頭の切れる男だ。
そういえば依頼人は――
「依頼人なら、あそこですよ」
赤屍が思考を読んだようなタイミングで、港を指す。
海に最も突出した岬に
依頼人と見知らぬ老人の姿が見えた。
そしてその2人の姿を見つけた瞬間、正しくは自分の依頼人の様子を見た瞬間。
卑弥呼は我が目を疑った。
あの厳しい軍人ロボッドが感情も露に何事か怒鳴っている。
かと思うと2人はお互い何故か持っていた、ボトルを逆さにして
相手にびしゃびしゃと掛け合い始めた。
ちょうどスポーツの優勝時に仲間内でやりあうアレの要領で。
怒っていたブラッドがいつの間にか、笑っている。老人も年甲斐もなくはしゃいでいる。
――・・・・・・まるで少年のような事をする。
最初はあっけにとられていた卑弥呼も、あまりにも無邪気な様子に苦笑した。
すると何かが卑弥呼の中でひっかかった。
血の様に赤いワイン・・・。
そのキーワードで以前蛮から聞いた話と繋がった。
依然たまたま立ち寄ったHonkyTonkはやたらと酒臭くて、自棄酒をしているGBに絡まれて卑弥呼は延々と蛮の恨み話を聞いたのだ。
最初にブラッドに感じていた違和感も氷解する。
あの男は――
あの厳ついブラッドが、老人に向かって感情を露わにして怒り笑う。
一緒にいる老人と作っている打ち解けた空気。
一目で彼らは気を許しあった友人なのだとわかる。
不死身のヴァンパィア。
必然、背負うのは近しい者との離別。
あのヴァンパィアは、傍らの友であり恐らくは唯一の理解者である、あの老人にいつか一人置いていかれるのだろう。
昔の自分のように。
波が押し寄せる音が響いた。
「…話し合いで済むのなら最初からそうしていれば良いものを……もっともすべてはブラッドに理由を与えるためにやったことなのでしょうが……元々彼はこの計画に今一つ乗り気では無かった。…だがそれは根っから軍人気質の彼にとって任務遂行を妨げる理由にはならなかったといった所でしょうか……くだらない。実にくだらない。自分を縛って何が楽しいのか。まったく理解に苦しむ……」
赤屍が苛苛ブツブツと言葉を零す。
それによって、卑弥呼は事の概要を掴む事が出来た。
石倉は友人を、止めに来たのだ
迷っていた彼を。全力で。
自らこんなところまで、乗り込んで。
再び卑弥呼は振り返る。
いつの間にかワインの掛け合いは、休戦していた。
二人は飲んでいたボトルを逆さまにして、惜しげもなく中身を海に流し込んでいた。
まだ射るような強さを持たない、柔らかな朝日にワインは薄く透けて
水の表面に当たって、細く小さくなった赤い飛沫はきらきらと弾ける。
優しい。それでいて厳かな儀式。
二人の顔には、穏やかな哀しみが浮き上がっている。
それはもはや取り戻す事が出来ないものを、懐かしんでいる人間の表情。
卑弥呼には、そのワインが誰に贈られたものなのか、すぐに分かった。
一人の勇気ある女性学者。
己の命と引き替えに、脅威の生物兵器になりえたウィルスを闇に葬った彼女。
そして今日も、彼女の存在が無ければこのような形で終われなかっただろう。
ブラッドにとってあの老人は大切な友人であろう。だが果たして彼だけでブラットを止める事が出来ただろうか――
死してなお人は生きる。
掛け替えのない死者は、脇をすりぬけていく名を知らぬ生者より、遙かに重く人の心に息づく。
死者は生前の言葉、行動、その姿。
世界に残したそれらによって、死者は生者を導きえる。
死者の声は時として、どの生者よりも大きく人を止め、人の背を押す。
死は忘却ではない。
それどころか、親しい者の死は、大切であればある程深く、深く刻まれる。
刻まれた死者は眩しく輝き、強く生きる。
卑弥呼の中にもそれは存在する。常に卑弥呼を支え守り導く不変の彼。
絶対に忘れ得ない、たった一人の肉親。
・・・そういえば昔、こんな風に海岸をよく歩いた。
仕事帰りの朝寄り道して、途中で仕入れた朝ご飯を頬張りながら
自分と兄貴とあいつ・・・三人で・・・・・・
「私は、あの老人達が嫌いではない」
唐突に言われた言葉に、視線を上げると赤屍も振り返って港を見ていた。
ぼそりと呟かれた小さな言葉は、誰かに伝えようという意志を感じさせない言葉のようで、卑弥呼は意味を問えなかった。
何よりも細められた瞳には、見たことのない彼の感情が浮かんでいているようで、それが卑弥呼から言葉を奪ってしまった。
しかし赤屍はすぐに瞳に瞼を被せ、浜辺を歩き始めた。
彼の背を卑弥呼が追う。
――この男にも。
ざくり。
砂を踏みしめる。
――この男にもいるのだろうか…。忘れえぬ、大切な死者が。
さくりさくり。
踏みしめる砂が、少しずつ靴の中へ入ってくる。
二人はしばらく無言で歩いた。
薄青だった空もじょじょに色を濃くし
朝の日差しでぼやけていた海も、輪郭を確かなものにしはじめる。
「馬車さんが帰ってきたようですね」
歩みを止めた赤屍が卑弥呼の方へ向いて、にっこり微笑む。
「では帰りましょうか。海岸デートも堪能しましたし」
脱力した足を支える事が出来なかった。そのまま砂の上につっぷす。
何でこの男は、こういつも…
「おや、卑弥呼さん?」
…赤屍まったく自分の行動を可笑しいとは思っていないらしい。いや、もしかしたらそう見せているだけかもしれないが…
「…………ちょっと…このままでいさせて」
疲労困憊の体は一度度倒れこんでしまうと、べったりと砂浜にくっついてなかなか離れられない。
倒れ込んだ砂は体に気持ちよくて起きるのが嫌になってしまう。
乾いた砂の粒が、ザラザラと頬をさする。
海の音が、近い。
心地の良い場所だ。煩わしい事を優しく忘却させてくれる。
どこまでも際限なく。甘えて倒れ込むことを許してくれそうで
起きあがれなくなってしまいそうで………
「……行こうか」
むくりと俯せになった体を起こした。そして立ち上がろうと前に屈む前に、腰を折るようにした屈んだ赤屍から手を差し出される。
「…何よ?」
「お手をどうぞvという意味です」
「はぁ?一人で起きあがれるわよ」
「お疲れのようですから。――先ほどのように抱き上げた方が宜しいので?」
「…っ!!こっちで良い!!」
声を張り上げながら、がしっと手袋越しの手を取る。
するとまったく力を入れた様子も無いのに、ふわっと地面から持ち上げられる。
その不思議な浮遊感。
なぜか驚いたように目を見開いた卑弥呼を赤屍が尋ねる。
「どうかしましたか?」
「…何でもない。ってもう離しなさいよ!
」
「手を離したらまた転んでしまうのではないかとこちらの気が気じゃないのでね、申し訳ありませんが、このままでお願いしますよ」
「〜〜!!」
卑弥呼はもう口が開けなかった。
天然か。天然なのか?この男は!?それとも、自分をからかう計算か。
ひしひしと卑弥呼は思う。
――…どちらにせよ、すっごい疲れる。
心体ともに疲れ果てた魔女を、いつの間にか上機嫌になっている死に神が手を引いて去っていく。
その様子を、海は見つめていた。
原初の海。生命の母。
打ち寄せ、太古から生き物を浜辺に打ち上げる波は、
この地表に足をついて生きる者への賛助。
低く絶え間なく謳う波音は
死者に捧げる荘厳たる鎮魂歌
そして同じく、波が謳う細やかな賛美歌は
この地上すべての
生きとし生けるものへ。
end

オマケ
:謝罪とお願い:
作中にあるナチスドイツの人種改造の実験の設定は
福井晴敏「終戦のローレライ」から借りたものです。
当初まで私はこの設定を史実と思い込み
直前の裏づけ作業でこれは創作だと気づきました。
しかし今回この設定は中核をなすものであり
一年前から決まっていた流れを変えることは出来ず
そのまま掲載という形を取ることになってしまいました。
不快に思ったファンの方には深くお詫び致します。
尚、大変申し訳ありませんが、
原作者、出版社等の密告はないようにお願い致します。
さらに予告よりこの最終話のupが遅れてしまいました事を
重ね重ねお詫び申し上げます。
氷野マサキ
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